究極の社会貢献とは
社会貢献と聞いて何を思い出しますか?
ボランティア活動?
奉仕活動?
SDGs?
寄附?
企業においては世の中の役に立つサービスなどを思い浮かべます。
しかし、社会貢献にも貢献度合いはかなり差があります。
ゴミ1個を拾うのも社会貢献ですし、ノーベル賞並みの発明をするのも社会貢献です。
それは捉え方の問題で貢献度合いも人によって感じ方が違います。
場合によっては自分にあまり関係のないノーベル賞級の発明よりもゴミ拾いの方が貢献度合いが高いこともあります。
では、企業や個人が誰でもわかりやすく貢献度合いを評価できるものはなんだろうか?
それはズバリ「納税」です。
納税こそ究極の社会貢献です。
特に日本は税収入がなければ国家は成り立ちません。
その国家の基盤が行政サービス・社会保険・福祉サービス・教育制度です。
これらは税金で成り立っています。
言い換えれば、国を豊かにするには税金をたくさん集めればいいのです。
しかし、人は国が豊かになる前に自分が豊かになりたいと優先順位を変えません。
この極端な考え方が進むと社会主義国家になってしまうので、自分あっての国家という考え方が日本人には多いようです。
これは心理的に分析した行動経済学の中でも証明されていますが、
「人は損失を被る場面では、損失を回避する思いが強くなる」とのことです。
分かりやすく言うと、税金は損失で、払うのを回避したいと願う傾向にあるとのことです。
ここでの心理的なバイアスは、「税金=損」となっていることです。
税金は損なのでしょうか?
先ほどの「税金は究極の社会貢献」だと考えるのであれば、税金って尊いものですね。
その税金を沢山払っていただいている企業や個人は表彰に値すると思います。
以前は納税者番付の発表がありましたが、昨今では個人情報となり発表はなくなりましたが、高額納税者・高額法人税納付企業などはもっと称えるべきだと思います。
企業の評価も、未だかって売上高重視の考え方が抜け切れていません。
売上高さえ多ければ「いい企業」だと勘違いしています。
売上高が高くれも、必死に節税工作ばかりをやっている企業を社会貢献とは言いません。
内部留保ばかりを考えている企業も同等です。
もう、売上高で企業を評価するのは止めませんか?
肝心なのはどれだけ利益を出して、どれだけ納税したかが社会貢献のバロメーターです。
そんな納税がたくさんできるような企業を目指したいと思います。